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Ka​-​Bella​-​Binsky​-​Bungo!

by tori kudo rick potts

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about

メールアート絡みの、この惑星でのノイズ村が成立した80年代初期から、世界各地のノイジャンは、松山のタケチ・ナガコのフラメンコ衣装店に詣でては、毎年毎年、ロープウェイで城山に上ったりパチンコ屋の雑音を録音したりキティちゃんグッズを揃えたりして悦として帰っていったのだが。何しろ、松山に行けば、スペーシーなプラネタリウムで、宇宙人の死体解剖だろうがスカンクの出没するノイズキャンプであろうが、好きなだけやりたいことをやらせてくれてしかも旅費もだしてくれるというのだから。松山がノイズのメッカとして知られるようになったのはひとえにノイズ・ママ・ナガコとその弟子のにやにやアナログ系も懐かしい故・田野幸治の、いかにも松山的な、今はモアミュージックに引き継がれている人の集まり方、つまりは自由律俳句結社的な伝統によるものだったと言えるだろう。その松山にリック・ポッツも来ることになったのは、当然の成り行きだった。かれは(もちろんそれだけではないが)、サンプラーのない時代に手動でサンプリングのコンセプトをフリー・ミュージックに持ち込んだ先覚者であり、竹田賢一はLAFMSに西海岸白人による自己否定の究極の形態を見、後には科伏の雑誌内戦略によってさらに紹介されていくことになる情報の洪水により、ぼくらは、まがりなりにも、すでに硬直していたヨーロッパ的なリアルタイム信仰への、西海岸からの揺り戻しを体験をすることになったわけで、ぼくが2003年にyik-yakというレーベルから西海岸に呼ばれることになった時、真っ先に思い浮かんでメールしたのがリックであったのも当然の成り行きなのであった。ロスではyik-yakの計らいでレッド・クレイヨラが共演してくれることになり、宿泊も、リック・ポッツがすぐにokの返事をくれて、それはぼくにとって大変幸せな出来事であった。そのコンサートの記録は、ここDDSから最初に出した「L.A.」に収められている。当然松山に来たことのあるノイズ・ミュージシャンは来てくれたし、マキーラドーラのプルース君(演奏中にずっと叫んでいるのは彼である)とも再会したのだったが、なにより印象に残っているのは、最初、ほとんどの客が飲んで騒いでいて演奏を聴いていない時から、最前列でガール・フレンドと体育館座りをして、ー曲ごとに盛んに拍手しているリックの姿である。ぼくらはその日のために用意した非常に短い70曲を、前日にリックの家で特訓していたので、何をやろうとしているか理解していたのはかれだけなのだった。その後だんだんステージに寄ってくる客も増え、最後の「身辺整理」の頃にはいかにもアメリカ的に絶叫が伝染したのだったが、その曲でぼくがその夜初めてまともに弾いたローズはかれの勧めで借りてきたもので、本来は無い筈の楽器であり、そんなことにも感謝しながら、帰りのトラックにそれら機材を積んで荷台に寝転んで夜空を見上げながら、帰りの飛行機が墜ちればいいのにと言ってしまったことを、ぼくはまだ命のパスワードと関連付けてまだ消せないでいる。コンサートが無事に終わり、まったく洗練されていない「辺境としてのLA」的なアートギャラリーを回ったり、スペイン語のメニューを飲食したり植野君とバーガーキングで貧困の肥満を眺めたり、していたのだったが、最後の日になって、リックが、duoを録音しようと言い出した。早速あるだけの楽器が並べられ、ぼくはかれのサンプリング脳と即興へのアティチュードが西海岸的な日差しに溶けて、境界を無くしていることにすぐ気づかされた。右脳左脳の学説自体は今では過去のものであるが、70年代的なニュアンスとして、かれは"両脳"で演奏していた。それがかれの大きさなのであった。ぼくはといえば、track3の後半で聞かれる、マックの音声再生ソフトを使ったローマ字読みのテキストに賭けていた。そこで入力した日本語は今はたどたどしい記憶しかなく、聞き取り不能の部分もあるが、それを今回の各トラックのタイトルに配分した。その朗読以外の部分について言えば、冒頭からしばらくは、「帰りの飛行機が墜ちればいいのに」という日本語の感情が、かれに伝わっているかどうか判らないまま、ぼくは、自分だけの始末のようにして片手でローズを弾きながら、ローマ字入力による音声再生の瞬間を待っている。「わたしたちは重屑的な構造の中で・・.」といった一連のテキストを繰り返し流した後、ぼくはもはや演奏を終わらせたかったのだが、かれはそのままtrack4から14まで、衰えることなく共演者を説得しつづけている。ぼくはやることをやった後の空漠感のなかで、またかれに付き合いはじめ、決して流すことをしないかれの脳の領域と、それに倍するサンプリングヘ向かう領域が、やがてぼくの日本語の悩みより大きいLAのニヒリズムそのもののように膨らんでいくのを見る。ケージ以来の、偶然を操る者たちの系譜に彼は所属する。かつては敵だと思っていたもの、敵の中の味方だという視点からあきらめて近づいていったもの、それらすべて飲み込んでいるようなかれの巨大な虚無は、子供の頃、カリフォルニア湾かメキシコ湾か忘れたけど、メキシコに近い海で死にかけた経験から来ているらしい。この記録は、リック自身によってランダムに14トラックに分割され、その後永田一直のスタジオで一度マスタリングされたものの、PSFではCD化してもらえず、07年に菊池びよの算踏公演「日の果てに」(planB)に使われ、そして幸いにも今回DDS最後のリリースとして牧野かよの耳に留まり、発売の運びとなった。それらすべての経緯に関わり、音源の紹介に尽力してくれた西川太平君にも感謝します。2011.6.29 tori kudo

credits

released November 9, 2003

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