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Fridays
07:18
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最近の金曜日、
わたしは 官邸前で
2千 1万 4万5千 20万 15万 のひとりでした。
ふくらんでいく人々をみて、
ときには人々の前で
ときには人々の後ろで、
逆流したり
立ち止まったり
声をあげたり
音をあげたり
してました。
木曜の夜のざわめきと
土曜の朝のしずけさと
くりかえしくりかえし
膨らんでいくその先は
まだどこにいくのかわからない
6/15
レンタカーを手配した。わたしはわたしの墓石を横目に扉を入って出た。どこで何を食べたかは忘れた。スーパーで二週間生きられたらいいなと思えるだけの食材を選んだ。
6/15
教習所で車に乗りバンドのリハ前の30分だけ官邸前へ。友人と会い打ち明け話。
6/22
右の脇腹が痛むので、慢性の盲腸ではないかと言われ病院で検査してもらった。尿検査、血液検査、レントゲン、なにも異状は無かった。
次の日に必要な荷物を車に乗せたはずだが覚えていない。なにを食べたかも覚えてはいない。
6/22
:予定が無かったので1900頃官邸前へ。友人にModern LoversのCDをあげた。終了後幡ヶ谷Forest limitへ移動しようと思ったが、諸々で断念し新宿裏窓で飲んで帰宅。
6/29
同級生の女と東京へ行くために高速バスに乗った。途中パーキングエリアで記念写真を撮った。夕方に新宿に着きホテルに荷物を置いてから同級生とは別れて、東京の友達に誘導してもらいながら国会議事堂前という駅まで行った。改札を抜けてから一瞬記憶が白い。
そこにいる人たちはここにくるために来ているのか。足の裏が地にへばりついて感じた。腕は手は天に向かって伸ばされ、通りすがりじゃない、瞳の人形のように、動けなくなる。
首から 「日本を返せ」というプラカードを下げているおじさんが目の前を通り過ぎていった。
わたしは声を出して泣いてしまい、歩き始めた。
階段を上がって出口に出ると、参加者は列に並ぶよう誘導された。列の最後尾まで列の横を逆走した。人の顔と握り締められたメッセージが目の中を流れていくので、ひたすら歯を食い縛って歩いた。涙を垂れ流してた。
最後尾まで着き、カバンから布を出した。「悲しい」と書いた布を自分に巻きつけた。頭からかぶった。小さくなった。こんなところにいたくないと思った。こんなことしたくないと思った。ほんとうなら…
列からはすぐはぐれてしまった。
悲しいを掲げるのは、どんなに自分の顔を隠していても抵抗があった。掲げるほどに、くちゃくちゃにされていくのがわかった。
最初はまったく声を出せなかったけど、ここまで連れてきてくれた友達が声を出していたので、わたしも声を出してみた。サイカドウハンタイって言った。ゲンパツイラナイとも言った。
どこかから、ヨルハクライって聴こえてきた。
解散と言われる前に、そこを離れることにした。少し離れれば、眩しくて悲惨に暗い夜の空が見えた。
6/29
阿佐ヶ谷でライブ。USTで官邸前を眺める。ライブはまずまず。
6/29
6月最後の金曜日、自転車で官邸前に行った。2日後に再稼動される予定になっていた。自転車をとめて人の渦の中に交ざった。声は出せなかった。
7/6
朝、畳の床に起こされた。家に帰ろうと思った。
車は運転してもらった。ナビを見るのを忘れるとすぐに道を行きすぎてしまう。行きすぎたところでパンを食べた。
神様は失敗してると思ったので、それを話したら悔やむことはあるらしいと教えられた。
それは失敗ではないのかと思ったけど、思考を止めた。
夜はバイトがあり、久々の日常に嫌気がさした。
わたしの悲しいはどこへ行ったかな。雨で風邪ひいてませんように。
夜はぐっすり眠った。
7/6
教習所。久しぶりの路上は恐怖。その後東高円寺で被縛舎ライブ。マヘル参加者募集告知を拝見し返信。ライブは最大の目論見が不発に終わり不完全燃焼。デモへの坂本氏参加に驚いた。
7/6
7月初めの金曜日、雨がふっていた。再稼動は始まっていた。霞ヶ関駅でおりて列の最後尾に並んだ。1時間で15mくらい進んだ。声は出せなかった。
並んでいる間ずっと自殺したF君のことを思っていた。
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